No. | 日時 | 発表者名 | 題目 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1979.11.24 | 高嶋 雅明 | 『和歌山県貴族院多額納税者互選人名簿』について | |||||
2 | 1980.4.26 | 小山 靖憲 | 紀州の荘園について | |||||
3 | 1981.4.25 | 藤本 清二郎 | 近世後期有田郡山保田地域の経済構造 ―山村地域総合調査報告― |
|||||
山田 良治 | 林業?山村賃労働の形態と動向 ―和歌山県清水町の事例にふれつつ― |
|||||||
4 | 1982.10.16 | 後藤 正人 | 紀州橋本の自由民権と戸谷新右衛門の顕彰 | |||||
5 | 1983.6.4 | 小山 靖憲 | 栄谷と周辺地域の歴史的環境 | |||||
山田 昇 | 和歌山県教育史の課題 | |||||||
6 | 1984.2.4 | 橋本 和幸 | 和歌山の地域社会の変貌 | |||||
南 清彦 | 和歌山の林業について ―国有林,民有林の推移を中心に― |
|||||||
7 | 1984.6.9 | 柏原 卓 | 三浦家文書と「家乗」 | |||||
村瀬 憲夫 | ||||||||
藤本 清二郎 | ||||||||
8 | 1985.6.9 | 水田 義一 | 紀州国井上本庄絵図について | |||||
森川 博 | 和歌山の水 | |||||||
9 | 1985.11.6 | 村瀬 憲夫 | 万葉集?大宝元年紀伊国行幸歌群をめぐって | |||||
小山 靖憲 | 紀伊国桛田荘絵図の再検討 | |||||||
10 | 1986.6.28 | 藤本 清二郎 | 近世前期紀州徳川藩の家老体制 ―三浦家文書による一考察― |
|||||
柏原 卓 | 『家乗』の言語―引用部を中心に― | |||||||
11 | 1986.11.22 | 泉 健 | 和歌山のわらべ歌研究(その1)―和歌山市内?1957年― | |||||
小山 靖憲 | 弁慶と義経 | |||||||
12 | 1987.6.13 | 山田 良治 | 80年代の地域開発と土地問題―京都府の事例を中心に― | |||||
後藤 正人 | 南方熊楠と自由民権 | |||||||
13 | 1987.12.5 | 米田 頼司 | 和歌山県下にみる地域社会の変容と保健婦の役割について | |||||
佐藤 和正 | 中上健次について | |||||||
14 | 1988.4.13 | 小山 靖憲 | 高野山御手印縁起と荘園制 | |||||
藤本 清二郎 | 近世高野寺領成立に関する覚書 | |||||||
15 | 1988.11.26 | 平澤 啓 | 紀州と江戸期共通語 | |||||
重松 知恵子 | フランス革命期のアルザス―革命下の中央と地方― | |||||||
16 | 1989.6.10 | 河合 康夫 | 工業化と地域―ドイツを中心に― | |||||
山田 良治 | 和歌山の食料消費生活 | |||||||
17 | 1989.12.2 | 柏原 卓 | 和歌の浦の文芸資料と景観語彙 | |||||
米田 頼司 | 漁村地域の生活と変容と諸相―和歌山市田野浦の場合― | |||||||
18 | 1990.6.2 | 米田 頼司 | 和歌浦の開発と環境問題 | |||||
藤本 清二郎 | 江戸?明治前期における和歌浦の牡蠣海苔業 | |||||||
19 | 1990.6.29 | 藤本 清二郎 | 近世の玉津島神社と奠供山 | |||||
藤森 勉 | オーストラリア東海岸における観光リゾート開発 ―日豪関係を中心に― |
|||||||
20 | 1991.12.14 | 森川 博 | 地域?運動?調査 | |||||
21 | 1992.6.30 | 水田 義一 | 17世紀フランスの要塞都市を巡って | |||||
22 | 1992.12.8 | 副島 昭一 | 中国の風土と生活―'91~'92中国滞在の印象― | |||||
23 | 1993.7.6 | 藤本 清二郎 | 「紀州藩文庫」の構成と国学所の蔵書 | |||||
柏原 卓 | 紀州藩文庫の漢籍の特徴―「学習館」を中心に― | |||||||
水田 義一 | 兵学寮(KRIEGSSCHULE)の蔵書の内容と収集法 | |||||||
24 | 1993.12.7 | 山田 良治 | 近現代,田辺木材業の発展過程 | |||||
池際 博行 | 我が国の機械製材の発展過程と和歌山市周辺の製材業 | |||||||
25 | 1994.6.21 | 上村 雅洋 | 安藤家田辺領の在方 | |||||
26 | 1995.7.12 | 瀧野 邦雄 | 紀州藩文庫所蔵『大日本史』について | |||||
27 | 1995.12.12 | 近藤 隆二郎 | 「写し霊場」の解釈と位置づけについて ―和歌山における八十八ヶ所?三十三ヶ所の分布パターンを求めて― |
|||||
28 | 1996.6.28 | 海津 一朗 | 東国武士の見た中世紀伊国―紀伊守護豊島有経と三上領― | |||||
29 | 1996.12.13 | 島津 俊之 | 紀州研所蔵「和歌山市街地図」の景観年代について | |||||
30 | 1997.6.27 | 橋本 卓爾 | 地域開発?都市化の進展と農業 ―泉州地域を中心として― |
|||||
31 | 1997.11.18 | 山本 健慈 | 地域と大学―和歌山県における生涯学習の現状と課題― | |||||
32 | 1998.6.16 | 奥 俊信 | 漁村地域小学生のふるさと認識調査 ―和歌山市加太地区のケーススタディー― |
|||||
33 | 1998.12.15 | 神吉 紀世子 | 地図と口述から復元する原風景 ―公害地域:西淀川における地域景観復元の試み― |
|||||
34 | 1999.6.25 | 本多 友常 | 傾斜環境における住まいの変容 ―雑賀崎の住空間調査から― |
|||||
35 | 1999.12.17 | 瀧野 邦雄 | 紀州藩文庫の漢籍について | |||||
36 | 2000.6.27 | 柏原 卓 | 石橋生庵日記(『家乗』)に見える李梅渓関連記事 | |||||
37 | 2000.9.22 | 藤本 清二郎 | 大学がもつ学術資料 ―紀州研所蔵資料及び「和大教育史」資料― |
|||||
38 | 2000.12.8 | 江利川 春雄 | 戦前期和歌山の英語教育と教科書 | |||||
39 | 2001.6.26 | 藤本 清二郎 | 明治二年頃「和歌山藩領絵図」について | |||||
40 | 2001.12.11 | シンポジウム 歴史教科書を考える | ||||||
副島 圓照 | アジアとの関係を中心に | |||||||
川本 治雄 | 社会科教育の流れの中で | |||||||
重松 知恵子 | 女性?子供?ジェンダー | |||||||
海津 一朗 | 教科書採択の現在 | |||||||
41 | 2003.12.8 | 富田 晃彦 | 「日本の星の地名、和歌山の星の地名」 「郷土の星の伝承者」 |
|||||
42 | 2007.7.1 | シンポジウム 太田城水攻めと出水堤防―フィールドミュージアム雑賀惣国― | ||||||
宇民 正 | 河川工学から | |||||||
軽部 大蔵 | 土質工学から | |||||||
北野 隆亮 | 考古学から | |||||||
額田 雅裕 | 地理学から | |||||||
弓倉 弘年 | 歴史学から | |||||||
43 | 2008.5.24 | 公開研究会 | ||||||
鳴海 祥博 | 和歌浦天満宮神社の社殿構成について | |||||||
米田 頼司 | 民衆に開かれた聖地としての和歌浦 ―名古屋城本丸御殿対面所次の間障壁画と和歌浦の成立から― |
|||||||
柏原 卓 | 近世和歌浦と文芸 | |||||||
菅原 正明 | 和歌浦妹背山の聖域化について | |||||||
藤本 清二郎 | 近世の玉津島神社と紀州徳川藩?朝廷 | |||||||
44 | 2008.10.26 | 2008年度第2回公開研究会 | ||||||
水田 義一 | 和歌浦をめぐる地形と景観の変容 | |||||||
村瀬 憲夫 | 万葉集和歌の浦玉津島の歌―その「開放性」について― | |||||||
三木 雅博 | 平安前期宮廷文学と和歌の浦―<吹上>の登場をめぐって― | |||||||
金田 圭弘 | 紫の上と和歌の浦とのつながり ―『源氏物語』若紫巻に詠まれた和歌の浦― |
|||||||
45 | 2009.4.19 | 米田 頼司 | 明治期の和歌祭 |