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冨家力 インタビュー   2024年3月25日(資料番号0003)

 

冨家力 インタビュー


実施日:2022年3月10日
公開日:2024年3月25日
場 所:冨家力氏自宅
語り手:冨家力(ふけつとむ)
聞き手:東悦子、眞砂睦、眞砂ムツ子
内 容:冨家氏が所蔵する写真を見ながら、太平洋戦争後に再開されたブラジル移民として、マット?グロッソ州(現南マット?グロッソ州)ドラードスに移住した3人のきょうだいについてお聞きした。本内容はその一部である。
※語り手を[F]、聞き手の3名は[聞き手]とした。

 

戦後のブラジル移住の背景

和歌山県日高郡岩代村(現?みなべ町)出身の松原安太郎氏(明治25年~昭和36年)は、大正7年にブラジルへ渡り、太平洋戦争後、ブラジルへの日本人移民の受け入れ再開に貢献した。松原は、ジェトゥリオ?ドルネレス?ヴァルガス(Getulio Dornelles Vargas,1882-1954)ブラジル大統領にかけ合い、昭和27年、中部ブラジルに4千家族の移民枠が認められた。昭和28年、戦後移住の第一陣として、和歌山県から22家族112人がマット?グロッソ州ドラードス植民地(松原移住地)に入植している。

【注】

  • 語りの中に補足した部分は(  )で示した。
  • 「???」は文字起こしが困難であった部分もしくは本内容と関連しないため省略したことを示す。
  • ブラジル移住史上で知られている人物は除き、冨家氏の家族以外の個人名は○○○などで示した。
  • 文中の「日記」は、ブラジルに移住した冨家家の長男修(おさむ)氏が記していた日記のこと。
  • 竹中儀助氏(明治22年~昭和40年):西牟婁郡東富田村(現?白浜町)生まれ。竹中商会(昭和29年、株式会社竹中商会に改組)を設立しブラジルにおいて農業の振興に貢献した。和歌山不動産株式会社社長として、また在伯和歌山県人会会長として移民を支援するなど和歌山県の移民事業にも貢献した。
冨家家 HP掲載用原稿_写真
【写真1】右から、冨家力氏、眞砂睦氏、眞砂ムツ子氏 【写真2】右から、冨家氏、眞砂氏、東

 

【F】  (家族写真を見ながら)ちなみにこれ、これが私の家族で、これ、これが私です、4歳で7人兄弟でね、これが親父で、これがおふくろ、これが兄貴ですわ。修っていうのね。これが1番、これがね、長女の菊子っていうね、菊子ととみ代という2番目、林とみ代というのは、(7人兄弟の)この上3人がね、ブラジル行ったんです。あと我々この小さいのがね、4人、4人残って1人、○○さんと田辺高校で同級生なのがね、これこっちやな、これっていう、これは45歳のとき、亡くなったんですよ。だからブラジル3、日本3でちょうど半分半分なんで。

ブラジルの連中の方がね、元気なんですよ。今も一番上のね、はい。菊子(長女)っていうのはね、89歳なんです。ええ。今現在89歳、89歳です。はい。2番目のね、これ広井、広井菊子になってるんですよね。そして89で。この2番目、林とみ代(二女)っていうのが、87歳らしいですわ。そのパソコンも、僕らもできんようなパソコンもできますし、それから長男の修というのは、僕より12歳年上で、同じ丑年同士で、今年だから85になるのかな、85。僕が73になるから85歳ですね。丑年です。はい、はい。そしてこれが亡くなって、ここ(写真を指して)、和子(五女)っちゅうのは、今これ、東京に住んどったんですけどね。これ女の子では一番下で、今神戸、宝塚に居るんですよ。元々東京におったんですけどね。これ(写真を指して)和子(三女)というのはこれ、静岡におりまして、ええ。

【聞き手】  あの、この写真の冨家さん4歳だったら、あんまり当時のことは。

【F】  だからあんまり覚えてないですね。ただ兄貴がね、僕が中学校1年のときと高校1年のときにね、ブラジルから帰ってきたんですよ。ええ。だから小さな4歳のときやからあんまり覚えてはないんですけど、兄貴とはだから中学校1年と高校1年の時に、中学1年の時は1年間こっちにおりましたんでね。ゆっくりした。

【聞き手】  修さんの日記を拝見していて、はい、すごく詳細に出発から書かれていたので。

【F】  なんかね、出発した日に、これ見たらね。これは親父が書いたあれ(文章)やけどね。昭和28年のね、5月の15日、神戸港オランダ汽船ルイス号でね、うん。12家族、70名を乗せて、新天地ブラジルに向かって船出したって書いてますな。

【聞き手】  そのときの小野知事もお見送りされたんですもんですね。

【F】  それでね、菊子っていうのがね。ちょっと2年ほど、僕がそこの上野山幼稚園というのにいってた時分やから、うん。2年、多分2年か3年遅れでね、行ったんですよ。初めにこの修というのはね、林とみ代というのは、2人で行ったんですね。ええ。ルイス号でね、はい、ええ。

【聞き手】  このお二方は渡航先にお知り合いはいらっしゃったんですか。

【F】  渡航先におったんです。あのね。

【聞き手】  受け入れてくださる方がいたんですね。

【F】  もちろん一番初めは、松原植民地に行ったんですけどね。○○さんって言ってね、この三栖村(みすむら)からね。○○○○さんっていう人がね、ただ当時なんとかちゅう、日記にも書いてるんやけど、どっかクリチバ(ブラジル?パラナ州の都市)かどっかで、魚屋さんしてたみたいでね、ここの日記を見て僕は初めて知ったけど。

【聞き手】  それも書いてあったのね。

【F】  うん。そこへとにかくうちの兄貴は、田辺高校一年生、5月やから、1ヶ月だけ高校へ行ったらしいですよ。そしてそのとみ代はね、田辺高校をちょうど卒業したとこだったんですよ。ええ。

【聞き手】  でもね、その高校を卒業なさったばかりや高校に入られたばかりで、ブラジルに行こうって、いくらご兄弟でお互い頼ったとしても、相当な決心が必要かと。

【F】  だから僕も日記を読んで初めて知ったんですけどね、この修は中学校2年生のときにね、ブラジル行こうと決心したらしいです。小学校2年生のときにね。どういうね、やっぱり親父が、親父の、多分僕が今考えるのは、親父の夢やったんちゃうかなと。その親父の、そのお父さんはここで医者してましてね、彼も医者だったから、まあそういうことはできなかったんやけど。彼は何か、自分、自分が行きたかったんちゃうかな。だからその思いをね、子供に話してたら、子供がのってきたっていうんか、ちょうど多感な時代ですね。その時分はね、昭和28年つったら、戦後、もうみんな苦しい時代ですわ。ええ。でね、ここにも書いて、これ何かのときの下書きやけど、うんうん。これね。これね、家系図なんですよね。冨家、ここにおるんで、うちの親父ね、母親はシゲノっていうんですよ。この人ね、あの看護婦さんでして。この親父、久男っていうんですか、この人の御坊からね、看護婦にうちに来たんですよ。そしてその息子の晃と知り合ってっていうか、結婚してね、その晃のね、兄弟に、○○子、○○子、○○○○っていうのって、この人たちね、もう1人、医者しやっておったんですよ。度忘れした。

【F】  三栖(みす)で?

【F】  いやいや今の関西医大出てね、女子医専出てね、親父の妹で、うんね、えっと、○○。

【聞き手】  ○○さん。

【F】  ○○○っていうのがね。

【聞き手】  晃先生の妹さんね。

【F】  妹です。で医者。医者してどっか嫁に行ったってんけど、病気になって、亡くなってしまったんですよ。そういう今の関西医大、うちの親父は大阪医大っていうとこ出てるんですけどね。(家系図で)このおじいさんは明治、そうやな、15、6年頃かな。今の金沢大学の医学部、出てるんです。田辺高校のね、昔は田辺中学校って言うてたんですけど、その第1回生で13人中の1人なんですよ。あの、久男っちゅうのが。上のとこでね、あの、医者やっとったんです。

【聞き手】  この地域の名士でいらっしゃる。

【F】  そんなことないです。そしてこの、とし子っていうのがね、とし子っていうんですけど、この白浜、富田(とんだ)出身のね、納谷(なや)さんに嫁いでるんですよ。この子供たちが、この一家も一緒に行ったんですよ。

【聞き手】  そうですか。ご家族で。

?????

【F】  (写真を指して)これ有名な???

【F】  ブラジル県人会のね。

【F】  これ、これが竹中儀助さんで、これがうち、僕の、一番菊子で、これ、とみ代ですわ。ええ。

【聞き手】  どこで撮られたんですか。裏に。

【F】  あります、うん。これは

【聞き手】  竹中氏より、送ってこられましたね。場所はブラジルなんでしょうね。ちょっと何か、ホテルって書かれてるんですかね。ちょっと黒くなっているところ。

【F】  昔のやつね、話だから。

【聞き手】  ブラジルですね。

【F】  もちろんそうです。これがその出発のときです。修と。

【聞き手】  やっぱりまだまだ幼い。

【F】  ええ。

【聞き手】  でも、この15歳の方があの日記を書かれたと思うと、すごくしっかりした、頭の良い方、ねえ。

【F】  すごい言ったら、いや、あれは恥ずかしい、恥ずかしいと言ってましたよ。

【F】  ここでは冨家のお坊ちゃまで育ったけど、向こう行ったらね、お前はここの丁稚や、ただの丁稚やって言われたね、うん。

【聞き手】  荷馬車の上で泣いたこともあるとおっしゃってましたね。

【F】  そしてね、これは○○、○○ゆうてね、これ御坊から、うちの母方の従兄弟なんですよ。だから修の従兄弟○○○○ちゅうてね、ここに載ってないんですけど、御坊からもこの○○家というのが行ったんですよ。

【F】  同じ船で。だからうちの兄貴は、姉はいたし、おばさんはいるし、いとこは結構おったんで、まるっきり1人で、15歳の高校生が行くっていう状態じゃなかったんだろう。おばさん、おばさんもおるし。おばさんは2人おるし、御坊からの○○のおばさんと、いとこもね、5,6人おったから。なんとか、うん。いけたんやと思うんですよ。まるっきり1人だったら、なかなかね。そしてこの日記を読んで僕初めて知ったんですけど、やっぱりはじめ、あのときの条件としては、植民地ってずっと百姓を続けるっていうのが条件やったみたいですよ。あれで見せるから、お金が出たと。だけどうちの姉と、うん、うちの兄貴はとにかく勉強っていう、うん、学校行くっていうあれがあったんで、その1年もたたずに、その松原植民地を離れたでしょ。だからっていうんで、うちの親父が政府に25万円返したって書いてます。いや、こないだすいません。別にね、返さんでもいいのに、そういう真面目な人やから、今のね、当時の25万円ですよね。だから250万やと思うんですよ、それぐらい、渡航費やから、ぐらいでたんちゃうかな。

【聞き手】  そうですよね。

【F】  250万でたっていうことですわ。移住する人に対して。

【F】  なんか、当時の新聞を読むと全額最初はね、だすって言ってたんだけど、それがまず多少、少なくなったとかっていうことが書いてありました。

【聞き手】  農業離れる人はいっぱいいたはずです。だけどまあね、冨家先生は本当に律儀だから。

【聞き手】  皆さんが元々その農業をしていたわけではないですよね。

【F】  ないんです、というのは○○家、うん、この人らはね、あの、満州の銀行に勤めた。戦争に負けて、こっちだけで来たけど、富田(とんだ)では長男がね、漁業をやってるし、だからこっちに三栖に来たんですよ。○○家は。その辺に借家を借りてね、いもあめというのは、ご存知ですか。いもを炊いて、それを売ってね、生活してましたけど。結局こういう状態ですからね。長男以外は耕作地がないんですよね。ましてや戦争からも、負けて満州から帰ってきたら、ね。職はないし、耕す畑はないしっていうんで、これに乗ったみたいです。僕未だに忘れんけど、○○○○いうんですけど、僕、力(つとむ)っていうんですけど、「力、わしな地の果て専門やって。満州におったと思ったら、ブラジル、わしは地の果て専門や」言うてね。

?????

【聞き手】  でも皆さんね、優秀な方やって。そういった方が非常に多いですよね。

【F】  優秀じゃない人が居るじゃないですか、すぐ近くに。

【聞き手】  いろんな分野でね。

【F】  (列車の窓から顔をだしている写真を指して)これは一番長女のね、広井菊子で、旦那これ広井冨次郎という。

【聞き手】  これは菊子さんの出発ですか。

【F】  そうです。昔は田辺駅でこんな感じで、和歌山市駅ですわ。

【聞き手】  リボンを。(出発する人と見送る人がそれぞれリボンの両端を持っている見送りの光景)

【F】  テープね、昔はかなわんなんだな。あの船なんかね、一番もう早い、今やったらもうそっけなく行きますけど、昔は???といったら、あれはかなわなんだな、考えたら。

【聞き手】  神戸港の写真とかね、残ってますよね。なんか皆さんすごく綺麗な方ばかりですね。

【聞き手】  いやもう本当、でも皆さんご活躍でね、私達もあのいい人脈に付き合ったって思ってるんですよ。いやまず、修さんにブラジルでお会いして、主人がたまたま、仕事の関係でお会いして、それでちょっと力さんが判明しました。

【聞き手】  でもあれね、送り出す方のご両親はどんなお気持ちだったのかと思いますよね。

【聞き手】  でも何かエピソードで、それは誰だ、どなたに伺ったか、多分、力さんだったと思うんですけど、壮行会みたいなのが県主催で行われて、そこで何か、何か皆さんでいろいろと話し合ったときに、あのこちらのお母様と知り合ったんですか。移民っていうのはね、皆さん、その何ていうか、食い詰めていくみたいに思ってらっしゃると思うけど、それは違いますと。で、うちのね、うちで出す娘や息子たちは家で一番優秀な子供たちですって、毅然としておっしゃったって伺いました。まあそのくらいなんていうかな、そういう戦前はね、そういう方たちも多かったと思うけれども、戦後、特に松原移民に対してはね、松原さん自身もすごくそういうんじゃないんだ。金稼ぎに来るんじゃなくて、あのブラジルへ移住するということは、あのブラジルの国民になってね、ブラジルのために一生懸命働いてくださるってことなんだ。だから、この移民っていうのは、すごく一番最初(戦後初)の移民だから、皆さん優秀な人を送ってくださいと。そうそう、そのことによってね、日伯の関係もすごく良くなるし、お互いウィンウィンの関係じゃないかっていうことを、松原さん自身がおっしゃって。多分そういう精神が松原移民には通じているんじゃないのかなって、私なんかは想像してます。ええ。

【聞き手】  何かひとくくりね、移民という言葉を聞いてイメージするだけでは駄目ですよね。特に和歌山はいろいろ特色もあって、紀の川筋の方々も本当にいろいろ教育も受け、必ずしもその貧しかったっていうわけではなく、豊かな、比較的豊かなところなので。

【聞き手】  素晴らしいですよね。???の人たちっていうのは。

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